UKトピックス

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戦禍のベトナムから救出された99人の子どもたち

The babies airlifted out of Saigon

戦禍のベトナムから救出された99人の子どもたち

戦禍のベトナムから救出された99人の子どもたち


『デイリー・メール』紙の手配によって、戦禍のベトナムから飛行機で救出された99人の子どもがいます。その中の1人、ヴィクトリア・カウリーさんは、当時、ようやく歩き始めたばかりの幼児でした。その彼女が今、ちりぢりになった疎開者たちの再会を呼びかけています。



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宝物を見つける

 ヴィクトリア・カウリーさんは、自分の正確な年齢を知りませんが、36歳くらいだろうと考えています。ベトナム戦争中、幼くして孤児となった彼女は、両親の名前すら分からないのです。
 記録に残っている彼女の人生は、『デイリー・メール』紙の1面に取り上げられた1975年4月に始まります。それは彼女が2歳くらいの時でした。ベトコンのサイゴン侵攻を目前にしたベトナム戦末期、『デイリー・メール』紙は、独自に飛行機を手配し、99人の乳児や子どもたちを救出しましたが、彼女はその中の1人だったのです。
 記事の見出しは、不確実な未来と悲惨になり得る運命から救われた孤児たち、となっていました。
イーストボーン在住のヴィクトリアさん(愛称ヴィッキー)は、こうしてイギリスに来て30年になりますが、最近、ある活動を始めました。それは、当時の仲間とまた連絡を取り合おうというものです。これまでに、15人と連絡がとれました。
 彼女は、何週間もインターネットを使って救出に関する情報を集めましたが、最初の手がかりはこうでした。「そうしているうちに、最初の宝物を発見しました。私とよく似た名前を持ち、サイゴンでは同じ孤児院にいた人でした。私はすぐに彼女にメールを送り、イギリス人の養子となったベトナム人と初めて友だちになったのです」。
 そして今、彼女は残りの83人を探しています。
 「まだ再会できていない人たちと連絡が取れて、身の上を話し合い、自分たちのことや、救出のことについてお互いに知っていることを話し合えたら、とても嬉しいと思います」。

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アイデンティティー・クライシス

 救出は1975年4月に行われましたが、それは、当時、『デイリー・メール』紙の編集長をしていたデビッド・イングリッシュ氏の発案でした。それに先立って、アメリカのジェラルド・フォード大統領が、2,000人を超える孤児をアメリカに避難させるよう指示していましたが、その多くはアメリカ兵の子どもだったとされています。
 イギリスに連れて来られた99人の子どもたちは、全員が孤児だったわけではなく、ベトナムに家族を残してきた者も大勢いました。彼らの年齢は、生後数カ月から10代までさまざまでした。
 ヴィッキーさん自身は、イーストサセックス州の海辺のリゾート地、シーフォードのある家族に引き取られました。当時、ベトナムで仕事をしていたダグラス・カウリー氏は、妻のジェニファーさんと相談して、彼女を養子にしようと決心したのです。
 彼女が正式に養子とされたのが、1976年1月6日でしたので、その日を彼女は自分の誕生日としています。彼女は、現在、サセックス州警察でテープライター(テープ起こし)の仕事をしています。
 しかし、ヴィッキーさんが自分の過去を調べ始めたのは、つい最近のことです。彼女は、永い間、過去についてこれ以上知りたいとは思いませんでした。詳細な事実は苦痛をもたらすだけかもしれないし、そもそも知りようがないのではないかと思ったからです。
 「私は、今のままで幸せでしたし、自分の疑問に対する答えを求めることは、まったく骨折り損だと思っていました。私はある種のアイデンティティー・クライシス(自己認識の危機)に陥っていました。自分は愛されていないのではないかとか、自分は誰からも必要とされていないのではないか、とか。でも、私が引き取られた時、私は必要とされていたし、愛されていたのです。私がまだ小さかった頃、両親は、日曜日のオーブン料理を囲んだ後の食卓で、私を養子にした時のことをよく話してくれました。そうした折、私の心に焼きついたことは、私がいかに特別な存在であるか、父があの子どもたちの中からよくぞ私を選んでくれた、ということでした」。
 それから彼女は、長い間、もし答えを求めてベトナムに帰ったらどういうことになるだろうかと恐れてきました。
 「共産主義政権は二度と私を国外に出そうとしないのではないか、と思ったのです。私の知らない言葉を話す、見知らぬ国に囚われの身となった人生、すっかり安心して身を任せられる安全で危険のない社会を奪われた人生、それほど恐ろしいものはありません。私の心深くに根を下ろしたそうした思い込みが、永遠の障壁、つまり、イギリスに来る前の私の身に起こった出来事について疑問を抱くことを許さない不動の壁となっていたのです。その思い込みが、もしかすると私がまだ身を置いていたかもしれない文化、そして私を護り、育んでくれたかもしれない文化について、私が学ぼうとすることを阻んでいました」。
 しかし今、すべてが変わったのです。ヴィッキーさんは、インターネットのソーシャル・ネットワーキング・サイトを使って、故国を離れたベトナム人とリンクを張り、ともに避難した人たちの所在を尋ね、来年には、初めて母国を訪れる計画を立てています。
 「私は今、本当に何があったのかを知りたいのです。私は、自分の原点を見つけたいのです」。

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一つひとつ破片を拾い集めて

 「私はボートピープルと混同されてきましたが、ボートピープルが話題になったのは、救出のことが知られるずっと以前のこと。私は孤児だったし、今は養子です。難民ではありません」――ヴィクトリア・カウリー


 「事実が、すべて書き残されていたり、録音されているわけではありません。私の疑問に対して、すべての答えが見つかるとは思っていません。ですから、推測するしかないことも多いでしょう。だからこそ、養子となった他の人たちの存在が、この上なく貴重なのです。私は、彼らの知っている事実と推測の助けを借りて、恐らく自分の身の上に起こったと思われる出来事の輪郭を描くことができるのです」。
 ヴィッキーさんにとって、ともに安全な世界に空輸された他の子どもたちと共有する過去を繋ぎ合わせることは、ある種の感傷旅行でもあります。
 「多くの人と接触し、情報を分かち合うにつれて、自分のやっている活動に対する愛着も次第に大きくなってきました。それはまた、私が接する人々への関心が深まることでもあります。私ほど人生に恵まれていない人がいれば、手を差し延べてあげたいとか、友達の輪を広げるための助力や助言をしてあげたいと思うようになりました」。
彼女が、物心つく以前の情報収集が、たとえ成果を挙げられなかったとしても、その過程での人々との出会いが、充分にその労に報いてくれることでしょう。
 「私たちが、不幸な事情のもとに人生を歩み始めたという、非常に特殊な、非常にユニークな事実を通して、生涯の友を得たと思っています。赤ん坊の救出という出来事は、飛行機がイギリスに着陸したと同時に、地上に砕け散った1枚のガラスのようなものです。私はその破片を一つひとつ拾い集め、元に戻そうとしているのです」。

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