ネットが社会を平等にする?
社会科学者でジャーナリストのアレックス・クロトスキーが、ウェブの影響力を取り上げるテレビ番組の新シリーズで司会を務めます。番組で彼女は、ウェブは社会を平等にする大きなチャンスを逃してしまったのではないかと問いかけます。
番組名
「バーチャル革命--インターネットと世界」 3月6日(土)放送開始 全4話
毎週(土)前10:10~11:00 再放送有
◎ユートピア的な社会
ウェブは、類い稀な革新であり、印刷機や蒸気機関の発明以来、最大の社会変革の先駆けとなる可能性を秘めています。政治とは無関係で、統制のない、分散化されたテクノロジーに基づいて構築され、男女や大人と子供の区別もなく誰にでも、受け身としての消費者ではなく、情報の発信者となる力を与えてくれます。
また、ウェブは世界中の意識の膨大な図書館でもあり、過去と現在の人間の知識をコンピュータ上で電子化して集め、アクセスしやすいフォーマットで提示しています。
その結果、私たちは今、自分なりの真実を創造して、それを世界中のすべての人に伝える、前代未聞の力を手にしています。いまだかつてない平等のアクセスがもたらされたのです。しかし、世界全体を平等にする偉大な存在としての可能性は、すでに過ぎ去ってしまったのでしょうか?
今から20年前にウェブの世界に移り住んだのは、理想的な社会は平等であると信じる初期のユーザーたちでした。ウェブの中では階級は否定され、規則は共通の利益の為にみんなで決めるものでした。
新たなテクノロジーと、理想の源である、アメリカのサンフランシスコで、番組の為に探しあてた、こうした人々の多くは、サイバースペース上にある、もう一つの非物質的なコミュニティで10年以上を過ごしていました。
彼らが創り出した、初期のコミュニティは、規則の定義が甘かった為に、搾取と無法へと悪化する現実に苦しみました。それでも、理想主義的なウェブの開拓者たちは、新たなデジタルフロンティアが、より自由でユートピアのような社会を生み出す、想像力に富んだ、知性あふれる場所を提供する、と主張しました。しかし、こうした開拓者たちの多くと話をして分かったのですが、歴史はウェブの為に別の計画を用意していたのです。
オンラインでの社会的行動に対する、開拓者たちのゆるいアプローチは、人間性の本質的な部分と衝突していたのです。支配したい、所有したい、利益を得たいという欲望です。内在的な不平等は、早くから現われ、特にウェブが1990年代半ばに営利の為のスペースとなってしまったときには明らかでした。それ以降、コンテンツが急激に増加したことで、確実かつ信頼できる、信憑性のある情報を突き止めるのはますます困難になっています。
◎ネット上に存在する知識の序列
個人のレベルでは、私たちは何を信用し、何を信じるかという点で、友人や家族に頼りますが、専門家や社会的に高い地位にある人に正しい方向を示してもらいたいと思うこともあります。
オンライン・ユーザーが創り上げる百科事典ウィキペディアの創立者ジミー・ウェールズでさえ、ウィキペディアが現在、情報平準化の申し子のように言われているにもかかわらず、誰の知識が他の人の知識よりも価値があるかを決定する、明確な序列があることを認めています。
偉大な平等主義者と呼ばれているにもかかわらず、ウェブは私たちの現状と同じように不平等であるように見えます。実際、私たち社会科学者が発見しようとしているのは、ウェブを社会的相互作用の場として観察するとき、その媒体にもかかわらず、人間はこの世界というものを理解するときに序列を求めるということです。序列はオンラインでも、オフラインでも、密接な関連があるのです。
この点にもかかわらず、元アメリカ副大統領アル・ゴア氏のような人々は、オンラインに対して楽観的な見解を示しています。私たちが話を聞いたときに彼が主張したのは、ワールドワイドウェブは、さまざまな社会がそれぞれの異なる視点を持ち寄る為、この世界的な性質には、序列を変える可能性がある、ということでした。
◎人間の媒体として
番組制作の一環として、私はウェブの考案者、ティム・バーナーズ=リーと会う為にアフリカのガーナに赴きました。彼は村々を訪れ、アフリカ大陸が国際的な対話に加わると何が起こるかを調べていました。しかし、旅の途中で私が気づいたのは、アフリカ諸国のほとんどの人がウェブを初めて体験したときに受ける印象は、アフリカ人以外の人たちが創造したものに基づいているということでした。それはどんな種類のドグマ(宗教上の教義や信念の意味)を伝えるのでしょうか。そして、これはどのようにして先進国と発展途上国との間に存在する不平等を拡大するのでしょうか。
成熟しつつあるテクノロジーを形作ってきたこの20年間は、人間が自分のイメージで作り上げたツールをもたらしました。その為、究極的にウェブは人間性を反映するものであって、人間性を変えるものではありません。これに私たちのほかの弱点をすべて、つまり欠点も何もかも持ち寄っているのです。
