観光産業はイラクを救えるのか
かつての人気観光スポットとして
・BBCニュース タムジン・ケント
6年以上も紛争の渦中にあったイラクが、バカンスを過ごす国としてふさわしいとは思えません……。はたして、古代メソポタミア文明発祥の地であるこの国に、観光客がどっと押し寄せてくる可能性はあるのでしょうか。
旅行客が、イラクを旅先に選ぶには、まだ何年もかかるであろうことは疑う余地がありません。しかし同国が安定に向かう中、観光推進派は、イラクが観光立国として発展していく可能性が生まれつつあると信じているようです。
かつてのイラクは、英国人旅行者が中継地として、しばしば訪れる国でした。インドへの早朝便がバスラ国際空港で燃料補給をしていたためです。しかし何年にもわたる戦争で同国の大都市はすべて破壊され、今では旅行先としてどうにも売りこみにくい土地になってしまいました。
それにもかかわらず、昨年11月にロンドンで開かれた旅行業界の世界的イベント『ワールド・トラベル・マーケット』に、イラク政府観光局の理事長が10年ぶりに出席したのです。同国を観光旅行先として宣伝することが目的でした。
「観光産業はイラク再建に役立ってくれるでしょう」こう語るのは同国政府観光局の理事長ハムード・アル・ヤコウビ氏です。「私たちはイラクが確かにまだ存在するということを証明したいのです。そうすれば人々のイラクに対する印象も変えられるかもしれません」。
しかし、英国外務省は、イラクのほぼ全土にわたって渡航回避を勧告しています。けれども冒険心あふれる旅人にとって、この国は文化的建造物の宝庫なのです。
文明発祥の地として知られるイラクには数多くの有名な歴史的遺跡があり、ウルやバビロンなど、名だたる古代都市もあります。旧約聖書に登場する「エデンの園」はバスラの北80キロの地に実在すると主張する歴史家もいます。
またイラク国内には、当然ながら課題はあるものの、観光産業がこの国を変えてくれる可能性があると確信している人々がいます。おそらく観光産業はイラクに対する国際社会の信用を回復させ、経済発展のチャンスをもたらしてくれるでしょう。
すでに英国のある旅行会社がイラクへのパック旅行を提供しています。ヨークシャー州に本社を置くヒンターランド・トラベル社を経営するジェフ・ハーン氏は、これまで30年にわたってイラクを訪れてきました。
しかし、現地の武力衝突が悪化したため、2003年10月以降、旅行プランを提供できなくなってしまいました。しかし昨年3月にパック旅行を再開してからは、すでに4度の旅を無事に成功させています。さらに2010年には少なくとも5回の旅行を予定しています。
「イラクの雰囲気は明るく活気に満ちており、日を追って情勢は回復していました」最近実施したパック旅行をふり返って彼はこう語ります。
「治安は守られていましたから、おもな史跡のほとんどを観てまわることができました。とはいえ、ここしばらくのあいだは観光客のみなさんにある程度の我慢をお願いし、臨機応変に行動していただく必要があるでしょう」。
ハーン氏の会社が開催する1人1,600ポンド(約224,000円)からの9日間の旅行では、イラクの有名な文化遺産や自然遺産の数々を楽しむことができます。
○イラクの旅行事情
・1970年代のイラクは観光旅行の黄金期であった
・1980年にイラン・イラク戦争が勃発する以前のイラクは、日本、フランス、ドイツからの旅行客に人気のスポット
・2008年のイラクへの旅行客963,657人のうち、そのほとんどが宗教的な目的で訪問
・2009年1月から9月までの間に、ヨーロッパからイラクへの旅行者は98パーセント増加
・イラクにあるホテル数は784軒
イスラム世界有数の聖地
それだけではありません。イラクには、イスラム世界有数の聖地をはじめとして、世界屈指の素晴らしい至宝が存在するのです。
首都バグダッドは歴史的遺産の宝庫ですし、サマラにあるアル・アスカリ聖廟の黄金のドームは必見です。バスラ地方こそイラクでもっとも美しいところだと言う人もいるでしょう。
何年にもわたる戦争、そしてサダム・フセイン政権下で数十年間も保護を怠ったことにより、こうした遺跡は深刻な打撃を受けました。バグダッド美術館は2003年の米軍侵攻後に略奪に遭い、当の米軍は、古代遺跡バビロンの地に基地を設営した際に貴重な遺物を破壊したとして糾弾されました。
しかし、現在は修復が始まり、旅行者の宿泊施設も改善されてきました。
「イラクには数多くの娯楽がありますよ。たとえば観光船でバスラに向かい、到着したら周辺をさっと観光してまわるといったプランもあります」とハーン氏は語ります。
「そこには古代アッシリア帝国の遺跡もありますし、旧サダム宮殿もあります。しかしそれらには修理が必要で、そのための膨大な費用がかかります。またこの国に最善の利益をもたらすためにはどのように修理を行えばいいのか、充分に配慮しなければいけません」。
彼によると、独裁者であったフセイン元大統領の派手な宮殿や彼の姿を彫りこんだ数多くの巨大な彫像など、フセイン政権当時の遺物でさえ、多くの観光客を魅了するそうです。
「サダム時代や数々の戦争、劇的な政変などを伝える遺物が趣を加え、それらすべてが持つ独特の雰囲気が、真に迫って人々を引きつけるのです」とハーン氏は言います。
リスクは高く旅行保険にも加入できない
見るべきものはたくさんあるかもしれませんが、旅行専門家の多くは、旅行者にとって滞在中の安全の確保が最大の難問の一つであると考えています。
「ある程度までの安全は保証しますが、限界があります」とハーン氏は語ります。「それに結局のところ、どれほどの安全を保証できるというのでしょう。それに武装した警備兵に囲まれた場所で休暇を過ごしたいと思う人などいるでしょうか。いるはずがありません。それでは休暇になりませんよ」。
英国外務省の渡航情報は「イラクの治安情勢は依然として非常に危険であり、国内全土にわたって引き続きテロ発生の危険性が高い」と注意を呼びかけています。さらにテロだけでなく「外国人を標的とする襲撃や誘拐が発生する」可能性もあります。
また、英国旅行業協会(Association of British Travel Agents、ABTA)によれば、加盟業者の中で、外務省の勧告に反してまでイラク旅行を提供する業者は一つもないとのことです。イラクへの旅行者は旅行保険に加入することもできません。
「爆破テロに巻き込まれる危険だけでなく、病気や食中毒、盗難に遭っても保険で補償されることはないのです」英国旅行業協会のショーン・ティプトン氏はこう語っています。「どんな危険なことが起こるかわからない国に保険なしで行くなんて、実にばかげたことです」。
過酷な動乱の歴史にもかかわらず、ベトナム、カンボジア、クロアチアなど戦禍に見舞われた国々は、観光スポットとして人気を集めるようになってきました。とはいえ、こうした国が旅行者の主要目的地としての一角を占めるようになるには、戦乱が去ってから何年もの年月がかかることでしょう。
「イラクへ行く人たちは、いわば冒険家です。彼らが自国に戻り、訪問した地でどんなことが起こっているのかを周囲に伝え、それを聞いた人がやはり訪れてみたくなるというわけです」とヤコウビ氏は語ります。
しかし、すぐにでも観光客がイラクに殺到するようになると考える人はいません。
「イラクは、クロアチアが成し遂げたように数多くのパック旅行客を引きつけられるようにはならないでしょう。なんといっても市場が異なります」とティプトン氏は言います。「私たちの見解からすれば、情勢が改善するまでは何があってもけっしてイラクに旅行に行くべきではありません」。
