なぜ欧米はダライ・ラマが好きか
精神的、政治的スーパーヒーロー
中国政府と人民にとって、彼は暴力の扇動者であり、苛酷で時代錯誤的な封建的神政社会の擁護者なのです。しかし、欧米の政治家や民衆にとっては、ダライ・ラマは笑顔を絶やさない、精神的、政治的スーパーヒーローと言えるでしょう。修行僧風の服装、にっこりとほほ笑む表情、角張った、とてもおしゃれとはいえないメガネ……。いつも写真でおなじみの道具立てです。彼の他にはネルソン・マンデラがいるだけのような部類の国際人だと見る人もいます。
○ダライ・ラマ 主な出来事
・1935年生まれ。テンジン・ギャツォ(法名)と命名される
・1937年にダライ・ラマ第14世の転生者として認定される
・1940年に宗教指導者の座に就任。しかし権限は中国軍がチベットに侵攻する1950年まで、摂政が代行
・1959年に中国がチベット動乱を制圧後、永久追放を余儀無くされる
・他のチベット難民とともに、インド北部のダラムシャーラーに拠点を置く
・その後、チベットへの帰国を拒否
・1989年、ノーベル平和賞を受賞
ダライ・ラマは、リチャード・ギアやスティーブン・セガールなど、ハリウッドの支持者たちと親交があることでもよく知られています。ダライ・ラマと会った人たちはみな、彼の強烈なカリスマ性を口にします。その秘密は、「素晴らしい笑顔、いかにも邪気のない容貌、思わずつられてしまいそうな笑い方」にある、と語るのは、1988年に初めてダライ・ラマと会って以来、自伝その他の著作で彼に協力してきたアレキサンダー・ノーマン氏です。
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院のチベット語上級講師ネイサン・ヒル博士は、ダライ・ラマは、ある人々には慈悲深い「サンタ・クロース」のような存在に映っているという観念がどうしても拭えない、と言います。「彼はとても絵になる人ですよね。欧米ではスターがもてはやされます。彼は強く人を引きつけるタイプで、非常に頭のよい人です。私は、彼をとても政治的感性の鋭い、非常に進歩的な人だと思います」。
『ダライ・ラマの知られざる生涯』を著したノーマン氏は、欧米では多くの人が、この物質主義の時代に安心立命を求めていると言います。「欧米の世俗世界には、ある巨大な欲求、現代の産業社会が提供できる恩恵とは何か別のものに対する渇望が存在しています」。
アマゾンのデータベースでダライ・ラマの本を検索すると、精神的な自力救済のための小冊子がたくさんあることがわかります。「(一部の読者には)彼は俗世に汚されていない存在です」とヒル博士は言います。「読者は自ら悟りを開きたいがために彼の本を読もうとするのです」。
「遥かなるシャングリラ」としてのチベット
そしてダライ・ラマへの理解は、遥かなるシャングリラ(小説に描かれた架空の楽園)としてのチベットという欧米の古いイメージにつながっていきます。「チベットは1792年から1903年まで西洋人に対して鎖国政策をとっていました」とヒル博士は語ります。「それがある種の神秘感を助長したのです。私たちが知っているチベットは、かつて白人にほぼ完全に門戸を閉ざしていた国として、なのです。「チベットについて知ろうとすると、すぐに魔術と驚異に満ちた神秘的な隠れ里というイメージを持ってしまいます。それは欧州の冒険旅行小説の産物と言って良いでしょう」。
ダライ・ラマに求められている政治的権威にしても、必ずしも現実的根拠を有しているとは言えないという印象があります。「彼は、動物を虐待から守る運動や宗教界の超宗派運動など、多くの運動のピンナップ・ボーイともいうべき存在です」とノーマン氏は言います。「ダライ・ラマに関しては、多くの願望的思考(身勝手な願望に基づく非現実的な考え方)が広まっています」。
欧米におけるダライ・ラマを巡る混乱ぶりは、同性愛者の権利に関する彼の見解をどう考えるかによく表れています。彼は同性愛者の性行為に対しても嫌悪感を表わしているが、時には、もっと含みのある発言もしている、とノーマン氏は言っています。「彼は、それはあなた次第です、個々人の良心の問題です、と言うでしょう。彼は敵を作らないよう細心の注意を払っています」。
ノーマン氏によると、彼が穏健な非暴力主義を堅持していることから、亡命チベット人の中にも彼を非難する声が上がっています。対立宗派の信者たちからも、シュクデン信仰(シュクデンという守護神を崇拝するチベット仏教内の一宗派)を禁止するのは間違っている、と非難されています。
純朴な信奉者たち
「亡命チベット人の間にも、公然とダライ・ラマに反抗する少数派が出てきましたが、まだほんの少数派です」と語るのは、コロンビア大学現代チベット研究所長のロバート・バーネット氏です。
「ダライ・ラマは衣を着た狼、人間の顔と獣の心臓を持った怪物だ」――チベット共産党書記長チャン・キンギルの、広く報道された発言の翻訳
「チベット内部では、普遍的と言ってよいほど、彼と彼の非暴力主義に対する尊崇の念が広がっています」。ダライ・ラマと彼の側近たちが、1950年の中国介入以前のチベットの実態を正しく伝えているのか、それとも一切の神話は欧米の崇拝者による作りごとか、という論争があります。
純朴な信奉者たちの間には、1950年以前のチベットに対する信仰さえ見られます。そこでは、「女性は男女同権を享受し、誰もが環境に調和して生きていたのです」とヒル博士は言います。
しかし、チベットを神話化したがることに対する非を、すべてダライ・ラマのせいにすることはできない、とノーマン氏は言います。「一方で、チベットが実際にどういう状態であったかということに関して、非現実的なイメージを広めたとして彼を責めることはできるでしょう。しかし、他方では、チベット人が自らの国を心底そのように、つまりロマンチックなイメージで考えていることも確かです」。
中国のダライ・ラマ批判は、チベットは歴史的に中国の一部だという考えをベースとして、1950年以前のシャングリラとしてのチベットという観念にも痛罵を浴びせ、農奴制や貧しい生活水準を強調します。
「ダライ・ラマは『古いチベット』に対する最も厳しい批判者の1人でした」と言うのは、ミシガン大学で仏教とチベット学を教えるドナルド・ロペス教授です。
カリスマ性と思想
「彼はシャングリラ症候群の元凶というわけではありません。仮に中国が侵攻しなかったとしても、彼が政治改革を推進したであろうという証拠があります」。欧米人がダライ・ラマを敬うことが「とても流行っている」としても、彼らがチベット問題の複雑性に無知であるという考えは間違っている、とバーネット教授は言います。
3つの核所有国の合流点にあり、世界の給水路のカギを握るチベットの地位を考えると、チベット問題は、進歩的な欧米人が好む回転木馬以上のものであり続けることでしょう。
政治指導者たちが、中国の圧力にもかかわらずダライ・ラマに会おうとするのには、明白な理由があります。中国の人権侵害を快く思わない人たちにとって、彼に会うことは、むき出しの外交案件に発展する危険を冒すことなく、中国を刺激する機会となるのです。「彼らにとって、(ダライ・ラマは)理想的な相手です。なぜなら、政治指導者としての彼は、ほとんど何も要求することがないからです。彼は、ただお茶を飲んで、写真に収まるというような、象徴的なジェスチャーだけで充分に満足しているように見えます」とバーネット教授は言います。「中国が不満を言えば言うほど、彼と会う欧米の指導者たちには、ますますダライ・ラマには強く信念があるように見えるのです」。
彼が1991年以来、すべての現職アメリカ大統領と会った理由がお解りいただけるでしょう。しかし、普通の人たちの視線でいえば、正しいかどうかはともかく、ダライ・ラマの大きな魅力は、何と言っても彼のカリスマ性と彼が支持していると言われるその思想にあるのではないでしょうか。
ノーマン氏が指摘するように、欧米のダライ・ラマのファンは、彼の中に「世俗の聖者」、でなければ「神のいない世界のための政治的に正しい神」を見ているのです。
