書き手から愛を込めて?
ラブレターを読む若い女性
手紙を書く技がルネサンス時代に完成されて以来、個人的な書簡と私的な秘密は手に手を取り合ってきました。リサ・ジャーディンが、恋文や機密文書から不道徳な携帯メールまで、秘密の信書を書く技とその危険について考えます。
17世紀のオランダ人画家、ヨハネス・フェルメールが描いた明るい絵画は35点ほど残っていますが、そのうち最も有名な6点は、ラブレターを読む若い女性を主題としています。
女性は一人のときもあれば、その肩越しに召し使いの女が目立たないようにうろついているときもあります。夢中になって手紙を読んでいる作品もあれば、本人が手紙を書くことに熱中している作品もあります。
書き上げた手紙を目的地に届けるために小間使いが控えている場合には、女性は、たたんで、蝋で封をしたその大切な手紙をしっかりと胸に抱き、受取人の名前が私たちに見えないようにしています。
それがラブレターだと、どうして判るのでしょうか。そうですね、まず、このうら若き女性はどう見ても、未婚女性が書面による通信を受け取るときには親か親戚が同席することが礼儀作法として当然だった時代に属しています。娘宛ての手紙が、その父親か母親宛ての手紙に同封され、彼女に渡して欲しいと丁重に依頼されていることも、よくありました。
その場合、当の若い女性は自分宛ての手紙を声に出して読むのが普通でした。ですから、ここにいる乙女は明らかにお付きの小間使いから直接渡された文を読み、監視されずにそれに熱中していたのです。
官能的な激しさを高めるため
これは、これらの絵に描かれた若い女性一人ひとりの顔に浮かぶ表情が、共謀する者のような、隠れる者のような、両者の間のどこかに位置する理由を説明する上で役に立ちます。おまけに、絵の雰囲気には甘美な秘密のオーラがにじみ出ています。半開きの窓から流れ込む光が彼女の顔を照らし、その顔は、ごまかしきれない期待に満ちています。何か道徳的に許されないことが、ここで起こっている、それは確かです。
17世紀と18世紀の小説は、官能的な激しさを高めるために、秘密の手紙のやりとりがもたらす劇的な可能性を利用することがよくあります。イライザ・ヘイウッドの人気恋愛小説で、1720年に出版された『Love in Excess(過ぎたる愛)』では、筆跡が愛人の正体を暴露する鍵となり、差出人の名声が危うくなります。
呆然とするほど魅力的なデルモント伯爵は、二人の好ましい若い女性に同時に追いかけられていたことから、混乱のうちに振ったアミーナに他の人から貰ったラブレターを返してしまいます。彼女はその筆跡が自分の親友のものだと気づき、そこから、信頼していた相談相手が実は秘密のライバルであることを知り、失望します。
サミュエル・リチャードソンの18世紀の書簡体小説『パミラ』と『クラリッサ・ハーロウ』はいずれも親密な手紙の複雑なやりとりの形式で表現され、熱情も裏切りも率直に明かされて、手紙を受け取る者を喜ばせたり、失望させたりします。
さらに現代に近づくと、エドガー・アラン・ポーの短編『盗まれた手紙』の筋は、探偵デュパンが、ある貴婦人から盗まれた、名誉にかかわる手紙の切れ端の筆跡に気づくことにかかっています。
ごまかすのはむずかしい手書き
16世紀の教育者、ロッテルダムのエラスムスは、その著書『幼児教育論』で、高い地位にある人々が、秘書に頼らず、自分自身の手できれいな読みやすい字を書けるようにすることの重要さを強調しています。
「筆跡に気づくと、(その人が書く)手紙に確信のしるし、さもなければ、とにかく喜びの要素を加えることができる。使徒パウロはガラテヤ人への手紙をすべて自身の手書きで送ったことを思い出すべきである」
「友人や同僚の学者から自筆の手紙を受け取ると、どれほどそれを歓迎することか、本人の声を聞き、向かい合わせで顔を見ているような気持ちになることか」。
手書きの手紙ではごまかしがむずかしくなります。エラスムスによる手紙の書き方に関する論文は、1520年代初期に初めて出版された後、ラテン語とその土地の言葉で何度も版を重ね、親しみのある手紙とは「遠く離れた友人どうしで互いに言葉を交わすようなもの」と定義しています。
改まったラテン語式の手紙の書き出しと結びについての簡単な説明から始め、「友情のこもった慰めに叱責を添えた手紙」から「激しい非難の手紙」まで、「親切な手紙」も、「嘆願の手紙」も、あらゆる種類の手紙を書く際に使用する決り文句のリストを載せています。
今では、時間を見つけてこうした類いの注意深く書き上げた、親しみのある手紙を書ける人は、ほとんどいません。書簡をやりとりするときのデリケートな問題は、もう守られていません。私が最近自筆のふりをして書いたものと言えば、先週末に夫に送ったバレンタインカードくらいです。
それでも、機密文書の通信傍受や不注意による露見となると、状況は400年前とほとんど変わりません。今も当時と同様に、たった一度の軽率な通信が渡ってはいけない人の手に渡り、世間に流され、広められることで、評判は地に落ちてしまいます。
露見のきっかけになる
ただし、最近では、艶かしい密通が露見するきっかけは、盗まれた手紙よりも電子メールや携帯メールであることが多そうです。
ゴルファーのタイガー・ウッズは、携帯電話で他の女性に送った情熱的な携帯メールを妻に読まれたことで浮気がばれた軽率な夫の一人にすぎません。サッカー選手のアシュリー・コールは2008年に、美人秘書にヌード写真と卑猥な携帯メールを送りまくり、「2カ月間に数百件のメール」を送った、とされています。今、それらがタブロイド判新聞に流され、彼も妻に説明しなければならなくなっています。
しかし、一部の状況においては、かつて学校で教わった通りのやり方で書かれた本物の手紙が、今も送られ、受け取られています。それは依頼人の代理として行動する弁護士が書くもので、一般に、別の依頼人の代理として行動する別の弁護士に送られます。
ここでも電子時代のために、最も慎重な扱いを要する書状を秘密にしておくことが、かつてないほど困難になっています。弁護士の通信は引き続き書面上で作成されていますが、その後スキャンして電子的に送信する傾向があります。そのような書状の複数のコピーを配布するには、マウスのクリックだけでよいのです。
破壊不可能なメール
ビンヤム・モハメド事件のニューバーガー卿の判決が、政府を代表する上位弁護士の土壇場の介入後、重要なパラグラフを削除された後に下されたことが明らかになりました。判決の草案(電子的に送信、ただし暗号化されていた)を読んだ後、勅撰弁護士が「イギリス国家保安機関に対する判事の『異例に有害な』批判の強さに抗議した」ため、ニューバーガー卿は判決を修正するよう説得されました。その翌日、ジョナサン・サンプション勅撰弁護士がニューバーガー卿に送った手紙は、その全文が有名な新聞のウェブサイトで閲覧できたのです。
削除も、書状の漏洩も、この訴訟の関係者たちの間に騒動を引き起こしました。ビンヤム・モハメドを代理する側はニューバーガー卿の判決に対する内容の変更を非難し、政府の代理側は報道機関にその書状を公表した勅撰弁護士に謝罪を要求し、これを得ました。おそらく、問題が片付くまでには、さらに多くの秘密文書が明らかになると思われますが、 一つ、私が個人的に確信していることがあります。それは、問題の全貌を管理して秘密にしておくような国より、情報に対して自由にアクセスする権利を司法制度が基本的に支持する国に住みたいということです。
かつて手紙は、それ自体がジャンルとみなされる、文学形式でした。知識人や芸術家は、自分の手紙が後世まで保存されるかもしれない、いつか印刷されるだろう、という希望あるいは期待をもって、互いに文通していました。 今日では対照的に、電子通信、つまり電子メールや携帯メールを、最もはかない、刹那的なもの、句読点、スペリング、文法などに関して注意を払うような、勿体をつけるにほとんど値しないものとして扱っています。
ところが、こうしたメッセージはほとんど破壊不可能で、それを書いたことすら忘れてしまった後もずっと、バックアップ用ディスクや電子アーカイブに残っています。送信してから数カ月後、あるいは数年後に、いつか戻ってきて私たちを悩ませる可能性のある、致命的なやりとりなのです。
17世紀の、どんな人にとっても手紙を書くことが教育の一部で、その書き方は自尊心の問題であった時代に、それが残されるかどうかは運任せでした。そのため、過去を覗く窓としては一貫性に欠けています。しかし、電子メールや携帯メールで自分の表現を考え直すことはほとんどない今、その手紙が、いつか誰でも閲覧可能な状態で読み出され、厳しく詮索されないとは、だれも確信できないのです。Caveat scriptor? ― 書き手よ、注意せよ。
