UKトピックス

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BBCニュースサイトより、注目のトピックスをお届けします。

大人になったら何になる?

When I grow up I'll be a…

 あなたが子どもの頃、大きくなったら何になりたいと思っていたか、今でも覚えていますか? そして、それは叶いましたか? 過去50年間にわたる研究で、子どもの頃の夢を実現させるのに役立つのは何かを検証しました。
 1969年に、当時11歳だった14,000人のイギリス人の子どもたちに、将来自分が何になっているか予想した作文を30分で書いてもらいました。
 「夫がちょうど200ポンドを当てたところだったので、休みに月旅行に行くことにしましたが、私たちには子どもがいません。結婚したら夫が帰ってくる前に食事を用意しておかないと、ぶつくさ言われるでしょう」……。

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1969年7月 みんなの作文より

 作文は、一人ひとりの夢の証拠であるだけでなく、25歳になったときの生活はどのようになると子どもたちが想像していたのかを垣間見せてくれます。月で過ごす未来の休日のことを書いた子どもが大勢いましたが、それも不思議ではありません。作文が書かれたのは、1969年7月、初めての月面着陸と同じ月だったのですから。
 ほとんどの子は、近い将来に結婚すると予見していました。離婚に触れた子は一人もなく、同棲という概念はほとんど想像もできないようでした。そして、結婚することや子どもを持つことについて書いた男の子が、女の子と同じくらい、大勢いたのです。
 「女の子たちは、11歳で、家事をこなすことについて書いているだけでなく、非常に明確なキャリア志向をもっていたことが判ります。それは教師や美容師などに限られていたかもしれませんが、社会に出て働く自分について、しっかりと考えていました」と語るのは、この生涯調査を実施している教育研究所に属する長期研究センターの、ジェーン・エリオット教授です。
 「11歳のときに将来したいと思っていたことと、成人してから最終的にしていることとの間には、確かに目立ったつながりがあります」。
 11歳で専門的職業を志望していた、つまり、獣医や、弁護士や、建築家になる夢を持っていた子どもたちのうち、半数以上は実際にその専門職に就いています。ただし、その後のキャリアは、必ずしも子どもたちが想像していた通りにはいかなかったようです。
研究審議会による1946年に生まれた子どもの調査

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ブルース(ITマネージャー)

 11歳のとき、ブルースは25歳の自分について、こう書きました。「ぼくは新聞社に勤めるジャーナリストです。立派なジャーナリストになって、たくさんのお金を稼いでいます。もっと歳を取ったら、作家になって本を何冊も書けたらいいな、と思います。歳を取ってからは、ぼくの本が出版されて、うんとお金持ちになりたいと思います」。
 その夢は実現しませんでしたが、彼は数々のITプロジェクトの臨時マネージャーとして成功を収め、イギリスと米国の両方に家を構えています。
 ブルースの父親は、クルーズ船の船長で、出航すると何カ月も家に帰ってきませんでした。留守中は彼の母親が家の切り盛りをしました。ブルースは母がとても厳しかったことを覚えています。
 「ぼくらは母のことを提督(major)と呼ばされていました。父が家にいるとき、母は父にこう言っていました。『船の上ではあなたが船長だけど、うちでは私が提督よ』」。
 「母は、ぼくにこう言っていました。『ブルース、あなたは何にだってなれるのよ』母はぼくの能力を強く信じていて、あの作文を書いた頃、ぼくは周りの人たちに利口ぶったやつと思われていたでしょうね。自分はかなり頭のいいほうだと知っていました。成績は上だったし、ちょうど11歳テスト(イギリスの小学校修了時に行われた全国共通の学力テスト。現在は廃止)に合格したところでしたから。自分の能力にゆるぎない自信をもっていました」。
 イングリッド・ショーン教授による1958年同時出生コホート(集団)調査から数千人の個人データを用いた研究で、親の希望と子どもの教育への関与は子どもの成績に著しい影響を与えることが確認されています。これは、社会経済的に不利な点を考慮した後でさえ、変わりません。

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キム(旅をしながら暮らす)

 11歳のときにキムが想像したのは、旅に関係する暮らしで、アフリカの動物を相手に働いたり、ツチブタやイボイノシシの研究をしたり……というものでした。彼女の作文は大きな望みで締めくくられています。「私は死ぬ前に世界中を見て回るつもりです。月面に足を下ろすかもしれません」。
彼女の人生はそのパターンを辿ってきました。18歳で学校を出て、ギリシャ、イタリア、その他のヨーロッパ各地を訪れました。オーストラリア人と恋に落ち、結婚して、二人で一緒に世界を旅しました。オーストラリアに7年間住んだ後、二人はイギリスに戻り、今では3人の子どもがいます。
 キムは今も旅を夢見ています。「夫は仕事でストレスが多いので、できることと言えば、リクライニングチェアとスカイスポーツくらいです。私に考えられるのは、キャンピングカーに乗って旅に出ることばかり。すべてを投げ出してしまいたい気分です。9時から5時まで働くのには、もううんざりしています」。

 彼女は作文を書いたことをまだ覚えています。「あの年齢で、旅をしたい気持ちがとても強かったことを覚えています。都会はどうでもよくて、大自然の遠い場所が見たかった。待ちきれませんでした。出かけたくてうずうずしていました。今もうずうずしていますよ、不運なことに」。
 1958年のコホート調査には回答者全員の詳しい引越し歴も含まれていますが、外国旅行は含まれていません。ただし、1958年のある週に生まれた18,558人のうち7%、1,340人は、海外に移住し、調査対象から外れています。

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マーガレット(警察官)

 11歳のとき、マーガレットに強い影響を与えていたのはその母親で、住んでいた小さな町の「救いの天使」として活躍している人でした。母親は地域のお年寄りたちに食事を用意したり、病人の介護をしたり、亡くなった人の埋葬準備までしていました。母親について歩いていたマーガレットは、子どもの頃、看護婦になりたいと思っていました。
 彼女はこう書いています。「私はロイヤル病院で働いています。仕事はパートタイムですが、私には家族があります。毎日新しい人に出会い、これがとても気に入っています。良い人生を送っていて、幸せな気持ちで出かけて、幸せな気持ちで帰ってこられるので最高です」
 そして、それは実現しました。少しの間ではありましたが。マーガレットは地元の精神科病院で働き始めたのです。しかし、何人かの入院患者に怖い思いをして、1年もしないうちにそこを辞め、警察に入りました。
 「(警察では)逮捕しなければならなくなるかもしれない人がなぜ罪を犯すのか、その理由を理解しようとするときに、少なくともある程度は心理学が役立ちます。私はいろいろな人たちを手助けしています」と彼女は語ります。
彼 女は今も地域社会と深くかかわり、その業績でMBE(大英勲章第5位)を授与されています。
 エリオットさんは、転職したのはマーガレットだけではないと言います。
 「33歳から42歳までの間に、1958年コホートで10人にほぼ4人は仕事の種類を変えています」。

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アン(働く母親)

 アンは11歳で未来の自分を思い描くことに何の問題もありませんでした。
 「その日は月曜だったので、私は仕事に出かけました。私は美容院で働いていて、独立する自分の店を探しています。お金が溜まったら、店を購入するつもりです」。
家 族が引っ越したために彼女は望んでいた仕事の勉強をする学校へ入学できず、しかたなく銀行に就職しました。そこは機会の限られた職場で、彼女やほかの女性従業員にとって、昇進の頂点は現金出納係の主任になることでした。
 「女性の銀行支店長は当時いませんでしたから、自分がはしごを上っていくことは考えられませんでした。でも、年齢を重ねるうち、人間関係と生活のほうが、キャリアよりも大切なことに気づきました」とアンは今ではそう言います。
 子どもが3人になってから、彼女は銀行を辞め、次々と職に就きましたが、それは学校の活動にあわせたもので、例えばエイボン・レディー(Avon社の化粧品などの訪問販売員)や、人形の家の家具作りなどでした。
 夫は建築業者で、不動産市場の浮き沈みに左右され、長い間仕事に就けない時期が続くうちに夫妻の借金がかさみ、ついに破産宣告を受けてしまいました。
 アンの職業人生は、主に家庭の事情に合わせたパートタイムの仕事で、この世代の女性に典型的なものだとエリオットさんは言います。同センターによる継続調査は、子どもの世話をするための時間を取って、地位の低い職に移った女性がどれほどいるかを示しています。

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