中国に広がる「HIV恐怖症」
医師と患者の信頼関係
かつて、中国当局は、SARSのような呼吸器疾患を隠蔽したとして非難されました。しかし医師は今回、医療専門家と、検査結果が陰性と出ても本当のことを言ってもらっていないのではないかと心配する患者との間で信頼関係が崩れていることに問題があると言います。
病状があると信じているある男性は、どうしてもモーテルの一室で取材を受けると言って譲りませんでした。彼は、人に感染しないように公共の場所を避けようとしたのです。
彼はマスクをしていました。彼は、自分のウイルスが汗や唾液など、間近な接触によって蔓延するのではないかと思っています。彼は、売春婦と性交渉を持ったことによって、ウイルスに感染したと考えています。
しかし彼は、HIV感染者ではないのです。HIV検査を7回受けて、いずれも結果は陰性でした。
「私は多くの病院に行って、何度も検査を受けました。どの検査も私が病気だということを証明できませんでした」と彼は話してくれました。病院では私の内臓を検査し、性病の検査もしました。私は体調が良くないのですが、医者はその原因を説明できないのです」。
中国のインターネットには、同じような正体不明の病気にかかったと思い込んでいる人々の書き込みで溢れんばかりのチャットルームが数多くあります。「私がチャットルームに参加したのは、このウイルスに感染したと確信したからです」ともう一人の患者が言いました。彼は、記者たちに病気を移したくないから、と面会しようとしませんでした。
彼が不調を覚えたのは数カ月前でしたが、やはり売春婦と交渉を持った後でした。HIVに感染しないよう充分注意したのに、と彼は言います。
「24時間後、私は激しい吐き気を覚えました。頭痛がし、めまいがして、内臓が腫れあがるように感じました。私は激しい痛みに襲われました。それが何カ月も続きました」。
彼はてっきりHIV陽性と思いましたが、いくら検査をしても、HIV抗体の徴候はありませんでした。その男性は、中国内の医療機関での検査結果に満足できず、世界保健機関(WHO)や海外の研究者に自分の病気を通報しようとしましたが、無駄でした。
「私の話を聞いてくれる医者はほとんどいませんでした」と彼は不満を言い、このウイルスは今、国中に蔓延しているに違いない、とつけ加えました。
本当のHIV患者なら15分もあれば診察できますが、HIV恐怖症患者とは、半日がかりの議論になるでしょう――カイ・ウェイピン博士
HIV恐怖症
2人の男性は、共に自分を病気だと思い込んでいますが、医師は今のところ、正体不明のウイルスを相手にしているとは考えていません。医師が推測するところによると、男として恥ずべき行為、すなわち売春婦とのセックスに関する極度の罪悪感もしくは不安が免疫システムに悪影響を及ぼし、身体の不調を感じさせるのではないか、というのです。
上海のパスツール研究所の科学者たちに患者から手紙が寄せられるようになったのは、昨年の8月でした。12月に入ってから、彼らは5人の患者について調査を始めました。これまでのところ、彼らはHIVの可能性を否定していますが、調査はまだ続けています。
先月、中国の疾病管理センターが60人もの患者を対象とした検査を行いましたが、ここでもまたHIVとの関連性は否定されました。
カイ・ウェイピン博士は中国南部の広東省にある人民第8号病院を拠点に活動している中国におけるHIVのベテラン研究者の一人です。彼は、問題となっている症状を「HIV恐怖症」と呼んでいますが、そうした患者の数が増えることによって、限られた資源がそちらに食われてしまうことを心配しています。「彼らは繰り返し、繰り返し検査に来ますが、それこそお金の無駄というものです。本当のHIV患者なら15分もあれば診察できますが、HIV恐怖症患者とは、少なくとも1時間、極端な場合には半日も議論しないと、帰ってもらえません」。
患者の中には、家族や友人や同僚に病気をうつしたと言い張る人もいますが、カイ博士は信じていません。「症状に関する家族の説明が、患者自身から聞く話と一致しないのです」。問題は身体的というよりはむしろ心理的なものだ、と博士は考えています。
「彼らは、私たちが伝染病を隠蔽していると思っているのですよ」とカイ博士は語ります。「過去には、確かに、私たちは病気の蔓延に関して秘密主義のところがありました。人民には私たちが公表する伝染病患者の数を信じてもらえませんでした。しかし、今日はそんなことはありえません。中国は現在、HIVに限らず伝染病患者を発見するのに多大の努力を注いでいるのですから」。
僕は家族に病気を移したくないので、もう1月も家に帰っていません――匿名希望
中国特有の事情
「HIV恐怖症」の事例は他の国でも報告されてきましたが、カイ博士は、中国特有の事情がより多くの事例を生んでいる、と信じています。ここ数年における中国の医療制度の急激な変化は成功しているとはいえず、それは政府も認めています。変化に取り残された患者たちは、医療専門家の取り組みへの意欲を疑っています。
「患者が医師をどう見ているかというと、医者は、患者の病気を治し、命を救おうという意欲に駆られているのではなく、患者を単なる金もうけの道具としか見ていないというのです」とカイ博士は言います。
病気に怯えながらも、不安を分かち合い、そうすることで励まし合えるような専門的な知識をほとんど持ち合わせていない人々の数を増幅してきたのは、インターネットでした。しかし、たとえ医師の見立てが正しく、モーテルの一室の若者は妄想に捉われているだけだとしても、マスクをして閉じこもった彼を見放すのは、冷たすぎます。
「僕はもうすぐ死ぬような気がします」と彼は言います。「僕は家族に病気を移したくないので、もう1月も家に帰っていません。医者は誰も僕のことを解ってくれません。医者は恐怖心が原因だと言いますが、僕の症状は本当なんです」。
悪い病気を他人に移すことを恐れるあまり、彼は社会から引きこもるようになりました。身体的、あるいは精神的であっても、病気の影響は彼にとって破滅的なことに変わりはありません。
