UKトピックス

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BBCニュースサイトより、注目のトピックスをお届けします。

人間と火山

Man and volcano

アイスランドの火山

 近頃の火山灰雲による混乱は、火山がいかに人間生活を侵害してきたかを思い起こさせるものとなっている、と歴史学者デイヴィッド・キャナダイン氏はコラムで語っています。
 最近、イギリスからアメリカ行きの飛行機に乗った際、私の便は、今やあまりにも有名となった火山灰を避けるために迂回しました。その結果、かえって通常の場合よりもはるかにアイスランドとその火山の近くを飛ぶことになりました。
回り道をした甲斐は十分にあり、連れと私は、自然界が生みだす最も驚異的で恐ろしい光景の一つを、手に取るように眺めることができました。渦巻く噴煙や、火柱や、溶岩を目の当たりにしたのです。
 3万フィート離れた安全な場所から見ても、それはまさしく「衝撃と畏怖」であり、小プリニウスがタキトゥスに宛てた手紙に生々しく描写された、西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火を想起させるものでした。
古代世界が火山に強く惹きつけられたことは、不思議ではありません。ギリシャ人は噴火を神の怒りであると信じていました。またヴォルケーノ(火山)という言葉は、ヴルカーノという地中海の小さな島に由来し、これはローマの火の神であるウルカヌスにちなんで名づけられたものです。
 ここ数カ月のあいだ、アイスランドにあるまったく発音不可能な名前をもつ火山から噴出した灰によって、多くの人々の旅行計画に深刻な混乱が生じました。
 アイスランドの火山噴火によって、このような深刻な不便や、単なる不便以上の事態が生じるのは、今回が初めてではないと聞かされたとしても、足止めされた乗客たちは、誰も心慰められはしなかったでしょう。
 1783年、そのような噴火の一つによってアイスランドの5分の1の人口が命を落とし、さらに西ヨーロッパ全域に毒性のある巨大な火山灰雲と硫黄ガスが拡散したため、イギリスだけで2万3,000人が中毒死したと考えられています。

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これが最後ではない

 それから100年足らずのちの1873年、ふたたびアイスランドで巨大な噴火が生じ、スカンジナヴィアのほぼ全域に火山灰雲をまき散らしました。つまり、今回の火山による人間生活の侵害は、長く不穏な歴史の連続のなかでの最も新しいものにすぎず、これが最後であると考えられる理由もないのです。実際、アイスランドの首相はすでにそのように発言しています。
 1783年のアイスランドの大噴火までに、イタリアでは、古代ローマのポンペイの町とその近郊のヘルクラネウムの遺跡発掘が、数十年にわたり進められていました。どちらも、ヴェスヴィオ火山の溶岩に呑みこまれた町です。
 小プリニウスの手紙やその他の文献によって、この事件と町の場所は当初から明らかにされており、ミュケナイやトロイアなどのように、後世の考古学者たちがこの二つの町のありかを突きとめる必要はありませんでした。
 18世紀末までには、ポンペイとヘルクラネウムの町がいかに完全な姿をとどめているかが明らかになりつつありました。これは、噴火による破壊によって、町が効果的に保存されるという奇跡的なプロセスによるものでした。
 「多くの災害が世界を襲ってきた」と、その地を初めて訪れたあとに、ゲーテは記しています。「だが、このようなすばらしいものを後世に遺したことは稀である……これほど興味深いものを、私はほとんど見たことがない」。
 この同じ光景を見た一人であるウィリアム・ハミルトン卿は、イギリスの外交官・収集家で、特命全権公使として1763年にナポリのスペイン王室に派遣されました。アマチュアの科学者でもあったハミルトン卿は、ナポリ駐在中に、本人の言葉によれば「火山というテーマに夢中になり」、それに関する論文をいくつか著しています。

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クラカトア大噴火

 最初の妻の死後、彼は長年の愛人であったエマ・ライオンと結婚しましたが、エマはすぐに前途有望な若き海軍士官のホレーショ・ネルソンと恋に落ちます。そして1798年に、ネルソンはナイルの海戦で勝利し、ナポリに凱旋します。
 2人は本気で情事を重ねるようになり、ネルソンは自分の愛情を次のように表現していますが、その言葉は恋人だけでなく、ウィリアム・ハミルトン卿の心をも魅了したかもしれません。エトナ山の溶岩すべてよりも、あなたに対する自分の情熱のほうがはるかに熱い、と彼はエマに言ったのです。つまり、タイプは違うものの、この奇妙なナポリの三角関係のなかで、火山に恋していた人間が少なくとも二人いたということになります。スーザン・ソンタグが彼らを題材とした歴史小説を出版した際にも、この『火山に恋して』という題名がつけられました。
 その頃までには、火山について書いた作家はすでに数多く存在し、ソンタグは新たにその列に加わったにすぎませんでした。ポンペイという題材に惹かれた作家は多く、やがてそこは世界有数の人気の観光地となりました。作家たちは、西暦79年に突如として恐るべき終焉を迎える結果となる古代ローマ人の日常生活について、そして当時の人々が幸せにもまったく知らずにいた彼ら自身の運命について、潤色をまじえつつ、ありありと描写しました。
 「クラカトアは、現代において最も強烈で、破壊的で、大異変をもたらした火山噴火であり、その威力は圧倒的で、破壊力は恐るべきものでした」
 これらの初期の作家たちの一人である小説家のエドワード・ブルワー・リットンは、1834年に『ポンペイ最後の日』を出版しました。彼はそのなかで、登場人物たちを用いて、退廃的な1世紀のローマ文化と、より剛健な古代ギリシャ文化と、来るべきキリスト教文化とを対比させました。
 『ポンペイ最後の日』は、当時のベストセラーともいえる作品でしたが、ブルワー・リットンの小説がすべてそうであるように、人気はすっかり失われてしまいました。ところが彼の死から10年後、ふたたび、ヴェスヴィオ火山よりもはるかに壮大な噴火が発生します。1883年8月、当時はオランダ領東インド諸島(現在のインドネシア)にあったクラカトアという火山島の山頂が吹き飛んだのです。
 クラカトアは、現代において最も強烈で、破壊的で、大異変をもたらした火山噴火であり、その威力は圧倒的で、破壊力は恐るべきものでした。噴火の音は、インドやオーストラリア、モーリシャスなど、数千マイル先にまで響きわたりました。
 噴火により発生した巨大な津波はインド洋全域に到達し、4万人近くの命を奪い、その遺体ははるかザンジバルにまで漂着しました。火山灰が何年にもわたり地球の大気圏に漂ったために、気温が降下し、遠く離れたボゴタやワシントンDCの気圧計にまで異変が生じました。また、燃えるように赤く、不安をおぼえさせるような光彩を放つ、鮮やかで異様な夕焼けが発生しました。
 その当時、もしも飛行機が飛んでいたなら、全世界の国際航空網は、今回の混乱よりもはるかに長期間にわたり停止状態に陥っていたでしょう。

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ダブルミーニング

 クラカトアの島の大半は1883年の噴火によって破壊されたため、この噴火のエピソードは、ブルワー・リットンの時代から現代にいたるまで人々を魅了しつづけてきたヴェスヴィオ火山とポンペイのように、フィクションの題材とされることはありませんでした。
 1970年代初頭、フランキー・ハワードは映画の「キャリー・オン」シリーズをおもに手本とした「アップ・ポンペイ!」というテレビシリーズに主演しました。この番組には、ルディクラス(滑稽な)・セクスタスやアンモニアやエロティカなどのばかげた名前の人物たちが登場し、ダブルミーニングや、きわどいギャグが満載されていました。
 より真面目な内容のものでは、ロバート・ハリスが2003年に小説『ポンペイの四日間』を出版しました。これは大噴火の前夜を時代背景としたラブストーリーであり、ミステリーでもある作品で、さらにはローマ人が都市への給水に用いていた精巧な水道橋の仕組みについても、極めて詳しく説明されています。
 さらに2008年には、ドクター・フーがポンペイを訪れます。迫りくるヴェスヴィオ火山の噴火を事前に知っているドクター役のデヴィッド・テナントは、倫理的なジレンマに直面することを強いられます。彼は、少しでも住民を助けるために介入すべきなのか、それとも歴史の流れにまかせるべきなのでしょうか。
 あるいは、より実質的で事実に即したものがお好みなら、メアリー・ベアードの最新刊がいいでしょう。これはポンペイの歴史と旅行ガイドを兼ねた内容となっています。昨今はポンペイを訪れる人には助けが必要であり、ポンペイそのものも助けを必要としているため、非常にタイムリーな作品です。
 1960年代までは、最高水準の発掘作業が行われ、イタリア政府の継続的な援助を受けた一流の考古学者によって監督されていました。しかしここ数十年、ポンペイの管理と資金調達の状況は非常に悪化しており、この世界有数の史跡は、大変深刻な脅威にさらされています。
 壁のフレスコ画ははがれ落ち、雑草や水によるダメージがいたるところに見られ、古い建物の多くが閉鎖され、板で囲われています。ポンペイは1997年にユネスコの世界遺産に指定されましたが、その未来と存続の見込みは、発掘開始以来、最も危うい状況にあると考えられます。
 火山の噴火による破壊により守られたポンペイは、人間による保存の不備によって、崩壊の運命にあるように思われます。先日迂回した私の飛行機とは異なり、これは非常に深刻で気がかりなパラドックスなのです。

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